親との関係性は無視できない。。。けどね

自分という自我をつくっていく中で、親という存在の大きさはどうしても捨てられない部分であって

どんなに自分らしく生きたいと願っても、きっと、根本にある親との関係性、そして、そこから生まれた感情は無視することができない


昨日のよる、久々に彼とそんな話になった

彼の中でも、どうしても越えられない葛藤があるみたいで

私は、それをひたすら聞いていたんだけど


こんなことがあった
そのときの感情はどうだった?

嬉しかった?
悲しかった?
寂しかった?
ムカついた?

沢山感情ってあるんだけど、その時の感情にリンクしていくとき、

じゃあ、なんでその感情になったんだろう?って
今の自分で冷静に考えていくことができる

そのとき、
本当はどうしてほしかったんだろう?
本当は何て言ってほしかったんだろう?

その時の自分に集中していくことで
どうしたかったかが見えてくる


そこに気づけたら、まずは
あぁ、自分はこうやってほしかったんだな
って素直に自分を見つめられる


そのときに置き去りにされてしまった感情を今度は自分で掬い上げることができる

それをくりかえして、くりかえしていくと、

ふと、なんで親はあんな態度だったんだろう?
なんであんなことをいったんだろうって素朴な疑問がわいてくる


それを、本当は直接本人に聴けたらいいよね

あのとき、なんであんなことしたの?とか
なんであんたこと言ってたの?って

そうしたら、たぶん今まで自分が思っていた思い込みとは全く違う気持ちが返ってくるかもしれない

それによって、
自分の中のしこりみたいなものが消えていくんだと思う
 
 
結局、親だって人だから
間違いだっておこすだろうし、ただ感情に任せて怒ることだってある


どこかで、親という存在は完璧で絶対に間違いを犯すはずはないと思い込んではいないだろうか?



こんな親だから私はこうなったとか
こんな親だから私は自由になれないとか言う人がいるけど

違うよね?

そう思い込んだ方が安心できるんだよね
自分ができないのは、あなたのせいだって言いたいだけだよね


拗ねてるだけじゃん(笑)


どんな親のもとに生まれようと、どんな人間関係の中で生きていようと、最終的に問われるのは、
【で、あなたはどう思うの?何したいの?】
ってところだ


あの人はこういった
親はこうだった

で?あなたはどうしたいの??



それを自分の中で探して気づいて、初めて自分を生きていると言えるのではないだろうか?
 
 
私の父親は昔ながらの職人だから、休みもなくずーっと仕事をしていた
家に帰ってくると、母にあれしろこれしろとよく命令していた

そんな父親がだいっきらいだった
それに文句も言わず従っている母が信じられなかった


絶対にこの人は幸せじゃないんだと【勝手に】思い込んでいた


だけど、本当にそうだったのかふと疑問に思ったから、今月実家に帰ったときに聞いてみようかと思う


きっと、また新しい発見が見えてくる気がする